五郎丸歩率いた早稲田ラグビー日本一、権丈組の森上さんにご飯をご馳走になりました。

権丈𠀋組 森上優貴

ピックアップ [早稲田ラグビー4年間]小林勝宗は中竹竜二監督にここまで導かれてきた。

僕が1年生の時の4年生、尊敬して止まない森上さんからお声をかけて頂き、札幌でご飯をご馳走になりました。

卒業してから6年、まさかこんな形で一緒にお酒を飲める日が来るなんて全く思っていませんでした。

最初メッセージを頂いた時は、「え?森上さんから・・・?!」と、本当に恐れおののきました・・・笑

森上優貴の早稲田ラグビー4年間

大学ラグビーの話で異常に盛り上がり、途中目頭が熱くなるほどでした。

森上さんとは1年間しかプレーしませんでしたが、何度か一緒のチームでプレーすることもありました。

その時は本当に優しく、そして熱くカッコイイ先輩でした。

後輩から見たその姿は「これが早稲田ラグビーの先輩の姿か」と見本のような先輩であったと僕は思っています。
 

僕が知る由もありませんでしたが、森上さんは僕が入る以前には選ばれた選手のみが入る寮に入っていたそうでした。

1年生から3年生の時には膝のケガに本当に苦しみ、1・2年の2年間ではたったの3試合くらいにしか出られなかったそうです。

主に1・2軍の選手が生活する寮では居心地が悪かったそうです。

次第に寮に入っていない選手からも「アイツ大したことないじゃないか」と見られるようになり、本当に苦しい日々を過ごしたそうでした。

そして3年生の時には退寮を命ぜられたのだそうでした。

僕も2年生から寮に入り、その後ケガや実力不足によって3年生の途中で退寮を命ぜられた人間なので、とても共感を覚えました。

ラストイヤーに全てをかける

4年生の時には試合に出られるようになり、奮闘しました。

時には僕も同じチームで一緒に奮闘しました。

ポジションが離れているけれどもよく気にかけてくださり、いつもポジティブに声をかけて頂きました。
 

1軍になって決勝の国立競技場に立つため、一生懸命ラグビーにて取り組みました。

しかし、夏頃に肘を脱臼してしまい戦線を離脱することになりました。

それでも決勝間近の時にはなんとか間に合わせて復帰し、決勝戦の前にある3軍対2軍の部内対抗戦に出場しました。

セオリー通りに行けば2軍が勝つのが当たり前です。

僕が所属した5軍は4軍に負けました。
 

3軍の異常な気持ちの入り方にグラウンドは支配されました。

緊迫した試合展開に、みんな固唾を飲んで食い入るように視線を送りました。

そして森上さんが所属した3軍は見事に2軍に勝利を収めました。

4年間の集大成。

みんな涙を流し、健闘を称え合っていました。

僕はその試合を横で観戦していましたが、4年間で最も熱い試合の一つだったんじゃないかと振り返ります。

これこそが早稲田ラグビーの一つの表現でもあると思っています。

僕たちのアイデンティティはあの4年間にある

3年生の時の副務決めで大いにもめたこと。

夏合宿終わりに高速道路でボンゴが横転したこと。

○○先輩とマネージャー○○さんにいろいろとあったこと。

本当にネタは尽きず、とても楽しい時間を過ごさせて頂きました。

(ご飯もめちゃくちゃ美味しかったし!)
 

森上さんの卒業後、僕は1軍のジャージに腕を通すことも出来ました。

そのことを「すごく嬉しかったんだぞ!」と、森上さんは語ってくださいました。

僕のことを気にかけてくださる先輩が居たことを、本当に幸せに思います。
 

6年前、死にものぐるいでラグビーに取り組んで本当に良かったです。

あの時を思い出し、もっと熱く、人生を全うしたいと思いました。

ありがとうございました!

権丈𠀋組 森上優貴

ラガーマンにこの思いを伝えよう!


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ABOUTこの記事をかいた人

早稲田ラグビー出身ブロガー。大学時代のあだ名はサンチョス、現在はカルロス。ブログ「カルロス天才.com」を運営し、様々なイベントを立ち上げ、全国各地、たまに世界を放浪している。ラグビーに関することが仕事になればこの上なく幸せである。仕事の依頼はg.sanchoz@gmail.comまでお願いします。